ropolis note

社畜、ニート、海外滞在などの経験をもとに、自分なりの人生に対する考え、哲学をお届けします。

箱根駅伝を見ると血が滾る…

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お正月休み。

この時期になると箱根駅伝をテレビで観るのが毎年恒例という人も多くいると思う。

僕はそこまで熱を持って見入る訳ではないのだが、心の奥底から青春時代の記憶が思い起こされる感覚に陥る。

 

というのも僕は、中高で陸上部に所属し、種目は中長距離を専門としていた。

 

「長距離種目」と聞くと、大半の人が嫌悪感を示すのではないだろうか。

学生時代に体育や運動会などで半強制的に走らされた、辛く苦しい時間が長く続くあの記憶…

実際僕が「陸上部で長距離を走っていた」と言うと、やはり「走るの嫌い」とか「なにが楽しいの?」とか、よく言われる。

 

この記事を読んでいる人の中にも同じように、長距離種目のみならず、走ることそのものが嫌いな人も居ると思う。

 

そんな人に、陸上部長距離種目歴6年の僕が、陸上の魅力と、陸上選手のカッコ良さを伝えてみようと思う。

 

先程、「そもそも走ることが嫌い」と言う人がいるといったがそれは、運動全般が嫌いというわけではないのだ。

他の運動部に所属していて、バスケやサッカーなどが好きな人でも、走ることが嫌いな人は多い。

しかし、それらの球技では走らなければ成り立たないスポーツは多い。

 

つまり「走ること」はすべてのスポーツの基礎ともいえるのだ。

 

それが分かった上でもやはり「走るだけだとつまらないし、しんどい」と言う人もいる。

 

確かに。他のスポーツに比べるとルールは少ないし、至って短調で地味だ。

長距離種目ともなると、その上長い時間苦しまなければならない。

側から見ると、「なぜわざわざそんなことしなければいけないの?」と思ってしまうのも無理はない。

 

しかしそのシンプルなルールの上で行われる長距離種目ならではの魅力がある。

 

例えば、野球と比較してみる。(少年野球経験もあり。一応エースだった。)

野球のルールは複雑で、攻守の交代や、得点性、一発逆転が起こる可能性があり、なんといってもチームプレイなので、チームとしての団結力や絆、見せ場も多いし盛り上がる。何よりカッコイイ。

 

それに比べてて陸上競技(走、跳、投、と様々な競技があるが、比較しやすいようにこの場合は「走」にスポットを当てる。)

ルールは簡単。走ってゴールを目指すだけ。

 

こうして比較してみるとやはり、つまらなく、ただしんどいだけのスポーツだと思えてきてしまう。

 

しかしこう考えてみてはどうだろう。

守備が苦手な分、バッティングでカバーするとか、自分の得意不得意のパラメーターに沿ったプレイ、ポジショニングで自分の長所を活かせるし、仲間と協力し助け合える野球。

 

それに比べて陸上は、シンプルだからこそ、小細工は通用しない。

速ければ強い、遅ければ弱い。

ただそれだけ。

個人競技なので誰も助けてくれない。自分だけの戦い。

 

 

あと、「つまらないししんどい」という意見についても思うところはある。

なんのスポーツをやるにしても、本気で取り組めばしんどいはずだ。しかし、他のスポーツと比較すると、「走るだけだとしんどい」と言う。

他のスポーツでも走っているのにも関わらずだ。

 

つまり先程の野球の例でも挙げたように、複雑なルールや、見せ場や、盛り上がりなどで、紛らわせて誤魔化しているだけなのでは、と僕は思ってしまう。

 

誤魔化しが効かない陸上競技では、そのしんどさ、辛さと真っ向から向き合うことになる。

まさに自分との戦いなのだ。

 

自分と戦うことが苦手な人には陸上、特に長距離種目は向いてないと思う。

更に言ってしまえば、自分と戦うことを避けて生きていく人を魅力的だと思えるだろうか。

 

だから、箱根駅伝をはじめ、陸上競技の大会で走っている人をみると、素直にカッコイイなと思える。

 

自分と戦っている人はカッコイイ。

僕は陸上をやっていたあの頃の自分が好きだし、誇りに思っている。

 

あの時にしんどかった、苦しかった経験、それに負けそうになる自分を奮い立たせて戦っていたあの瞬間。

それらは身体に染み込み、今も自分の弱さと向き合う時に背中を押してくれているような気がする。

 

と、後半は少し思想が強めに出てしまったが、陸上に対する想いは強いしまだ書き足りないなとも思う。

もう少しテーマを絞って、「駅伝」や僕が高校で専門としていた「800m走」について今後書いていこうかなと思う。

あとは野球や、「スポーツそのもの」についてとかも。

 

ではまた。