ropolis note

社畜、ニート、海外滞在などの経験をもとに、自分なりの人生に対する考え、哲学をお届けします。

最近の若者は“つまらない”?

実家に帰省しました!

2週間ほどいる予定なのだけど、この期間は、留学レポシリーズをお休みして、自分の考えたことや自分なりの哲学などを記事にしていこうかな〜と考えてる。

 

 

というのも、元々ブログを始めるにあたって、留学のことは書くつもりだったが、こんなに長編で書く予定ではなかったのだ。

 

普段の生活の中での気づきや、悩んだこと、またその悩みに対してどう乗り越えてきたかや、本などで勉強した哲学、心理学、考え方など、自分が生きていく上で大切だと思っていることを、他の人にも共有したいという思いが強いのだ。

 

 

同じことを考えている人と共感しあったり、普段そういうことをあまり考えない人が考えるきっかけになればいいな〜と思っている。

 

今日の話は、昨日の記事にも関係してくる内容になっている。 

ropolis.hatenablog.com

 

昨日の記事でも書いたとおり、僕は父親を尊敬している。

年齢を言い訳にせず。日々成長することを怠らない。

好奇心が旺盛で、新しいことに興味を示しチャレンジする。

目の前のことに一生懸命で、努力する過程すらも楽しんでいる。

 

僕にとってそういう人はとても魅力的だと感じる。

しかし、僕の周りにはそのような魅力的な人が極めて少ない。

なんとなく惰性で生きていて、仕事のことで精一杯。好きなことに向き合う暇も、気力もない。

 

 

父の周りはそうではない。

父親ほどまでとはいかずとも、父の年代の人々は前提としてそれらのことを理解している人が多いと感じるのだ。

 

今の若者と、父親世代が若かった頃では価値観が違う。

 

人によってその差はあるし、微妙な違いだとも思う。そしてあくまで僕個人の偏見を含んだ主張ということを分かった上で読んでもらいたい。

 

 

今と昔の若者のちがい。

「昔」というと抽象的なので、父親の年齢から計算するに20年くらい前、と規定する。

 

簡単に整理すると、昔の若者は魅力的で、今の若者はつまらない。となる。

何故なのか。

 

 

昔は今と比べて科学技術が進んでない。代表的でわかりやすい例を挙げるとスマホの有る無しだ。

 

昔の若者、特に田舎の若者は娯楽が少ない。

(父親の話を聞く限り、麻雀したり釣りをしたりが主だと感じる)

しかしそれだけでは遊びのネタが尽きるのだ。退屈になる。

そうなると人は、自分で考えるのだ。

何か面白いことはないか、こう工夫すれば面白くなるのではないかと、つまらない現状を変えるべくアイデアを絞り出す。

 

ここが重要なポイントだ。

 

一方、今の若者はどうだろうか、テクノロジーの進歩で、手の届く範囲に娯楽が腐るほどあるのだ。

だから自分で面白いことを探したり、追求したりしない。

 

具対的にいうと、「承認欲求」という非常に強い欲求を人は持っている。

これは非常に強力で、依存度が高い。

何気ないつぶやきに対して「いいね」を貰ったりお互いにフォローしあったりすることで、承認欲求が満たされ、エンドルフィン(脳内麻薬)が分泌される。

 

SNSの台頭で、何か物足りなさを感じたり、寂しさを感じたりしても、手のひらサイズの板の上でほとんどのことが解決してしまうのだ。

自分の頭で考え探さなくても、欲を満たせてしまう。

 

 

一方昔の若者はそうではない。

人生を楽しくするためには、自分の頭で考え、足を運び、手を動かさなければならないし、そういうことをみんな知っている。

そして新しいことに挑戦したり、行動を起こすためにはエネルギーが必要だということも知っている。

 

人生を楽しくすることとは、そう簡単ではなくて、楽しく遊ぶためにはそれ相応の労力が必要だ。という共通認識をみんな持っているのだ。

 

 

時代が変わった今もそういった意識は、潜在されているはず。

そこは見習うべき点であると思う。

 

 

現代の、スマホで欲求の処理を済ませて、楽しむことへの努力を怠る若者に、少しだけでいいので考えて欲しい。

本当にそれが幸せかなのか。

 

人生を楽しくするためには、新しいことに挑戦することや、行動を起こすことが必要で、それらはそれなりの労力が必要なのだ。

 

 「楽しいこと」、「好きなこと」に向き合い、一生懸命それらを探求することこそが、幸せな人生なのではないかと僕は思う。