ropolis note

社畜、ニート、海外滞在などの経験をもとに、自分なりの人生に対する考え、哲学をお届けします。

幸せに生きる絶対条件

あなたは今、幸せだろうか?

 

この問いに「はい」と自信を持って即答できる人は中々いないのではないだろうか。

 

僕はふとした時に、自分に問いかける。

 

日本という恵まれた国に生き、寒さに震えたり、飢えに苦しんでもいない。蛇口をひねれば水は出るし、指も5本ずつ生えてる。

とても幸せ者だ。幸せな環境で生きることができている。と、確認作業を時折行う。

 

マズローの五段階欲求説」も有名である。

  1. 生理的欲求
  2. 安全の欲求
  3. 所属と愛の欲求
  4. 承認の欲求
  5. 自己実現の欲求

 

この五段階の欲求を人間は誰しも持っている。

1を満たした段階で2を求め、2から3、3から4、といったように今ある欲求を満たすと、次々に更に上位段階の欲求が生まれるという仕組みを表したものだ。

 

このように「幸せ」に関する考え方は色々とある中、僕なりの幸せな生き方についての考えをまとめてみた。

 

それはずばり、

「死を意識した時、人は生を全うできる」というものだ。

 

※ここからは「生死」に関する内容を含むので、敏感な方や、人によっては不謹慎に感じてしまう可能性があるので、注意してほしい。

 

まず、余命宣告を受けたガン患者は、残りの余生をどう生きるのか、という例を挙げる。

 

自分の死が間近であることを告げられれば、誰しも絶望することだろう。

しかし、自分の死を見つめるということは、残りある時間に真正面から向き合うことに繋がる。

 

余命2ヶ月と宣告されたとある末期癌患者が、昔からやりたかった登山をそこから始め、エベレストの登頂を果たし、1年、2年とその後も生き、数々の山へ挑んでいくというエピソードを聞いたことがある。

 

 

死を意識してから、それからの人生についての考え方、生き方が、ガラッと変わったのだ。

他にもいくつか似たような話を知っているが、要約すると、「死に屈することなく、限られた命の中でどう生きるか」を考えることが重要ということだ。

 

 

ここまでの話を理解、共感してくれた方は是非、自分自身のことだと思って読んでほしい。

 

先程はわかりやすいように、余命宣告を受けた末期癌患者を例に挙げたのだが、何もその条件に限った話ではなく、全人類に言えることなのだ。

 

必ず来る終わりが、早いか遅いかだけだ。

つまり「残りの寿命」と、「自分の自分の人生に対して真っ向から向き合い一生懸命に生きること」は全く関係ない。

 

いつか必ず訪れる死。

それが明日だろうが2ヶ月後だろうが、70年後だろうが、今この瞬間を全力で生きることが重要なことには変わりないのだ。

 

 

日々それらを意識していれば、毎日をいきいきと生きられるのではないかと僕は思う。

 

「死を意識した時、人は生を全うできる」

これは僕の持論の中でも中核を担っており、考え方のベースになっているといっても過言では無い。