この言葉で人生が変わった。
ブログ日数が28日目、記事数がこの記事で30記事目。
キリがいいので、どんなことを書こうかなーとあれこれ考えた結果、
「この言葉を聞いて人生変わったな」と思えたことを紹介しようかなーと。
長々と語る必要も無いので単刀直入に言うと、その言葉とは、、、
「暇な時に何をしていたかが、その後の人生に大きく影響を与える」だ。
何かの本か記事か、この言葉をどこで目にしたかは正直定かではないのだが、この一文を読んだ瞬間に衝撃が走ったのを覚えている。
仕事が休みで1日中暇な時だけでなく、平日の通勤中の電車、休み時間、仕事から帰って寝るまでのフリーな時間。
細かく見ていくと1日のうちになんとなく過ごしている時間、ぼーっとしている時間は意外と多い。
その時間をどう使ったか、どのように意味を持たせたかでその後の人生が変わってくる、ということは容易に想像がつくのではないだろうか。
僕はその言葉に出会ってから、何もすることがない暇な時間というものを最大限省き、自分にとって意味のあること、身になること、どうしても思い浮かばない時はとりあえずなんでもいいから生産性のあることに時間を費やすように心掛けている。
一日一日が、一瞬一瞬が、自分を使っていく。
そう意識して生きた日々を積み重ねた先には、“なんとなくぼーっと生きていた”だけでは手に入らなかったものを見つけることができると信じている。
ここ2日間、モチベアップ系の内容の記事を書いてきて、今日の記事とも通ずるところもあると思うので是非そちらも読んでみてください↓
やるべきことがあるのにダラダラしてしまう時の対処法
昨日の記事の中で、「もはや人生は小さな決断の連続といえる。」という言葉を書いたのだが、それについて補足というか、更に深く自分の考えを書いていく。
仕事が休みで、一日中家でゴロゴロ。
特になにもせずぼーっとテレビを観たり、YouTube観たり。
寝て、食って、また寝る。
なにも生産しない一日。
休日にこういった生活をする人は一定数いるのではないだろうか。
なんて幸せなことなんだろう。
それ自体は特に問題はないのだが、問題なのは、「やるべきことがあるのに」という前提がある時だ。
耳が痛いと思う人もいるのではないだろうか。
僕自身、やらなきゃいけないことがあるけど、めんどくさくて先延ばしにしてしまうことは多々ある。
そういう時に意識すべきは冒頭で述べたとおり、「人生は決断の連続である」ということだ。
「決断」と聞くと、人生を左右するような分岐点に立たされた時のようにイメージするかもしれないが、実はそうではない。
今この瞬間、一瞬一瞬を決断し、それを生まれてから死ぬまで繰り返している。
なんとなくぼーっとしている時、惰性でダラダラしている時も、あなたは数ある選択肢の中から選んでその行動をしているのだ。
それに気づいた時、今やるべきことはなんなのかを冷静に考えることができるのではないだろうか。
行動を変えるにはまず意識を変えなければならない。
僕はこの考え方を身につけてから、多少なりとも人生が変わったと感じている。
今この記事を今読んでくれている方にも、意識を変えるためのきっかけ程度になってくれればと思う。
“プライド”について
プライドとは、、、
誇り、自尊心、譲れないもの。
などの意味を持つ言葉で、誰しもが持っているが捉え方や、その強弱は人それぞれだろう。
また、ネガティブな意味で使われることもあり、僕自身プライドという言葉はあまり好きではない。
「絶対に譲れないもの」というのは生きていく上での芯というか、人生の道に迷った時の案内図のような役割をしてくれることもあると思うのだが、時としてそれらは障害になることもあるのではないか。
完全にプライドを捨てることは不可能だが、余りに執着してしまうと柔軟な考え方の妨げになったり、他人とぶつかることもある。
と、ここまで自分の考えを述べてきたが、なぜこのテーマを記事にしようと思ったのかというと、年末の人気番組「ガキ使」を見て、思うことがあったからだ。
去年のガキ使を見た人ならわかると思うのだが、今回印象的だったのはSMAPを抜けた草薙、香取、稲垣の3人。シンプルにめっちゃ面白かった。
SMAPとして活動していた時期は紅白歌合戦を始めとする音楽番組に、アーティスト、ジャニーズとして出ることが主だったのだが、脱退したことでバラエティの世界に踏み込んできた様子が伺える。
しかも、今回のガキ使を見て感じたのは、3人は“お笑い”を全力でやっていた。
素直に面白かったし、僕は彼らをかっこいいなと思った。
SMAPの頃はここまでやらなかった、いや、出来なかったはず。
ジャニーズとしての肩書、背負っているもの、そしてプライドがあったからだ。
ここでまた話が飛ぶのだが、僕の好きな漫画「ワンピース」に出てくるあるキャラクターのことを思い出した。
「青雉」だ。
今日は「元SMAPの3人」と漫画ワンピースの「青雉」に着目して「プライド」について僕が思っていることを書く。
ワンピースを知らない人のために簡単に説明する。
海軍のトップ元帥が辞職したことにより、次期元帥の候補に、実力のある赤犬、青雉の二人の名が上がった。
彼らは対立し、次期元帥の座を争って決闘し、その規模はとある島の環境を変えてしまうほど激しいものだった。
結果、勝者は赤犬。
赤犬の下には就きたくない青雉は海軍を去った。
現在は世界を転々とし、その動向や目的は定かではない。
この、一見何も関係のないかのように思える「元SMAPの3人」と「海軍を辞めた青雉」。
そこには共通点がある。
それは、「今まで背負っていた大きな肩書、役職、プライドを捨て置き、新しい環境で生きていく」というところだ。
大規模で影響力の強い組織に所属し、実力もあり、経済面も安泰、そういった恵まれた立場を捨てるというのは非常に勇気がある。
そこまで気づいたキャリアを失い、ゼロからのスタートになるのだ。
新しい環境で通用するかどうかもわからない。
生半可な覚悟ではできない決断だ。
青雉は、赤犬に敗北し海軍を辞めたが、別に辞めなくてもよかったはずだ。そのまま赤犬の元で、今まで通り海軍としてやっていくことは何も不自然じゃないし、理にかなっているとも思える。
元SMAPの3人も、ジャニーズを辞めたからといって音楽活動に専念することもできたはずだし、バラエティ番組で体を張って笑いを取る以外の選択肢もいくらでもあるはずだ。
そういった意味では、それ自体もある種のプライドであるとも言えるのだが、着目すべきはその後の動向と真意だ。
大きな組織から抜け、自身の立場、役職、キャリアを全て捨て去り身軽になれば、肩の荷も降り、視野も広がる。
自分に向き合う時間もできるし、その中で「本当にやりたいこと、好きなこと」について考えることもできる。
また、人は誰しも安定を求め、変化を嫌い、長いものに巻かれたいし、リスクを負いたくないと考える。
しかしそれらの考えは、自分の成長の妨げになるのではないだろうか。
成長するためには、変化を恐れず、新しいことに挑戦し、時には持っているものを捨て、住み慣れた環境から離れる必要があると思うのだ。
安定志向では進化はできない。
先程挙げた例の他にも、そういった人は度々見かける。
元いた世界を飛び出し、新しい環境で生きていく決断をした人を僕はとても魅力的に感じるのだ。
僕自身、そういった決断に迫られる時が今後来るかもしれない。
いや、もはや人生は小さな決断の連続といえる。
失うことと、新しい世界で生きていくことの恐怖に負けず、自分の心の声に耳を傾けて「本当にやりたいこと」を突き詰めていきたいと僕は思っている。
外でステーキ焼いて食った
この前、父親と野外でステーキを焼いて食べてきた。
なぜその日から時間が経ってから記事にしているかというと、GoProの取り扱いに四苦八苦していたから。
まあ今回もゆるーく、写真多めで野外メシレポを書いていく。
過去の記事でも紹介した僕の父親と車に乗り込みいざ出発。
雨がパラついてるので、この橋の下で肉を喰らおうという試み。
いやー田舎っていいね。こういうことができるとこが。
あと車があると道具とかを無限に積めて最高。
いつもキャンプに行く時はバックパック一つで行くから、荷物の重量とかサイズを気にしなくていいのはめっちゃ良い。
荷物を降ろし切る前にまず米を炊く。
何故なら一番時間がかかるから。
そして今回はこの焚き火台で肉を焼く。
…はずだったのだが、風も強いし、薪が若干湿ってて火が全然着かない…
粘ったけど今回は諦めて、バーナーを使うことに。
一応持ってきて良かった。
そして肉をいざ投下!!!
スーパーで買った激安肉だけどめっちゃうまそう。
ではでは、飯テロ失礼。
米も炊き上がったし、ステーキ宮のタレをぶっかけて、実食。
うん、めっちゃ美味い。文句無し。
めちゃくちゃ寒いし、火がつかなかった時はどうなることかと思ったけど、とても満足。
もし焚き火がダメだった時のためのバーナーを持ってきてなかったらその時点で終了だったので、今後キャンプに行く時の教訓になった…
火は大事。。
寒すぎたから肉食って速効帰ってきたけど、たまにはこういうのもいいな。
早くあったかくならないかなー。
キャンプ行きたい。
人に何かを教えるのって難しいよね
最近、日記としてブログを活用することも多くなってきている気がするが、今日は祖母がやっとスマホに乗り換えたこと、そこから感じたことなどを書こうと思う。
昔から扱い慣れてるガラケーのほうがいいと言い張る祖母に対して、絶対スマホの方が便利だしなんならガラケーより操作簡単だよと主張する僕。
確かに普段、電話やメール、カメラしか使わない祖母からしたらスマホに変えるメリットよりも新しいことを覚えることの億劫さのほうが強いのかもしれない。
しかし僕は前々から、スマホでできること、便利さを教えたり、実際に触らせてみたりして、「未知のもの」に対する抵抗を出来る限り少なくしようと試みてきた。
そして今日、ここ数年続いていたこの対立がついに終止符を打つ結果となった。
どーん。
『BASIO3』
初心者に優しい、シニア向けスマホ。
しかしスマホ慣れしている現代の若者と、ガラケーユーザーの高齢者ではやはり慣れるまでの差が出る。
LINEの使い方、カメラ、電話などの基本設定は勿論のこと、そもそものスマホとは何か、wi-fiとは何か、データ通信とは何かなど、そもそもの概念を説明しなければならない。
さてここで気付くのは、人に何かを説明することの難しさだ。
これが苦手だと感じている人は多いのではないだろうか。
僕はどちらかというと人に何かを教えるのは好きだ。
そういう時に自分が気を付けている、大事にしていることは、「相手は何をわかっていて、何を分からないのか」をよく観察することだ。
説明をしていく中で、相手の知識レベルを探り、そのレベルに合わせて何を、どのくらい、どこまで説明しなければいけないのかを分析する。
もっと簡単に言うと、「相手の気持ちになる」だ。
それに限る。
わからない人の気持ちがわからないようでは、わかるように説明できるはずはない。
「こんなこともわからないのか!」と、よく部下や後輩を怒鳴る人がいると思うが、僕はそういう人を見ると、単に教える人の力量不足としか思えない。
「こんなこと」もわからない人の目線に立つ能力が欠けているが為に、教えること、説明することを放棄しているようにしか見えない。
教えるのが上手い人というのは、わからない人の気持ちがわかるのだ。
でも、誰しも最初はわからなかったはずだ。
仕事でもなんでもそうだ。
だが段々とわかっていくうちに、自分もわからなかった時期があったということを忘れてしまう。
最初からわかっていた気になってしまい、わからない人を見下し、叱る。
「教えるのが上手い人」と「下手な人」、その違いは、「自分のわからなかった時期のことを覚えているか、忘れているか」であるともいえる。
何事もやはり「初心を忘れるべからず」なのだなーと再認識した一日だった。