人に何かを教えるのって難しいよね
最近、日記としてブログを活用することも多くなってきている気がするが、今日は祖母がやっとスマホに乗り換えたこと、そこから感じたことなどを書こうと思う。
昔から扱い慣れてるガラケーのほうがいいと言い張る祖母に対して、絶対スマホの方が便利だしなんならガラケーより操作簡単だよと主張する僕。
確かに普段、電話やメール、カメラしか使わない祖母からしたらスマホに変えるメリットよりも新しいことを覚えることの億劫さのほうが強いのかもしれない。
しかし僕は前々から、スマホでできること、便利さを教えたり、実際に触らせてみたりして、「未知のもの」に対する抵抗を出来る限り少なくしようと試みてきた。
そして今日、ここ数年続いていたこの対立がついに終止符を打つ結果となった。
どーん。
『BASIO3』
初心者に優しい、シニア向けスマホ。
しかしスマホ慣れしている現代の若者と、ガラケーユーザーの高齢者ではやはり慣れるまでの差が出る。
LINEの使い方、カメラ、電話などの基本設定は勿論のこと、そもそものスマホとは何か、wi-fiとは何か、データ通信とは何かなど、そもそもの概念を説明しなければならない。
さてここで気付くのは、人に何かを説明することの難しさだ。
これが苦手だと感じている人は多いのではないだろうか。
僕はどちらかというと人に何かを教えるのは好きだ。
そういう時に自分が気を付けている、大事にしていることは、「相手は何をわかっていて、何を分からないのか」をよく観察することだ。
説明をしていく中で、相手の知識レベルを探り、そのレベルに合わせて何を、どのくらい、どこまで説明しなければいけないのかを分析する。
もっと簡単に言うと、「相手の気持ちになる」だ。
それに限る。
わからない人の気持ちがわからないようでは、わかるように説明できるはずはない。
「こんなこともわからないのか!」と、よく部下や後輩を怒鳴る人がいると思うが、僕はそういう人を見ると、単に教える人の力量不足としか思えない。
「こんなこと」もわからない人の目線に立つ能力が欠けているが為に、教えること、説明することを放棄しているようにしか見えない。
教えるのが上手い人というのは、わからない人の気持ちがわかるのだ。
でも、誰しも最初はわからなかったはずだ。
仕事でもなんでもそうだ。
だが段々とわかっていくうちに、自分もわからなかった時期があったということを忘れてしまう。
最初からわかっていた気になってしまい、わからない人を見下し、叱る。
「教えるのが上手い人」と「下手な人」、その違いは、「自分のわからなかった時期のことを覚えているか、忘れているか」であるともいえる。
何事もやはり「初心を忘れるべからず」なのだなーと再認識した一日だった。